#シンエヴァンゲリオン 劇場版 の葬式で死んだと思った点


特に内容には期待をしていなかったのだが。
映画の内容も
「ああ、エヴァンゲリオンは本当に死んだんだな」という感じだった。


期せずして作品のテーマも「大人になれ」「けじめをつけろ」「責任を取れ」「退屈な毎日の繰り返しを肯定」「自然とともに生活しろ」「結婚して子どもを作れ」「思春期を卒業しろ」「仕事をしろ」「挨拶をしろ」「地域共同体の中で居場所を作れ」「親としての役目を果たせ」「老いた父親と会話しろ」「いつまでも子どもでいないで老いた親のケアをする大人になれ」、という、かなり保守的な内容だった。


 「は?」

 思春期だった僕が新世紀エヴァンゲリオンにゾッコンハマったのは、そういうスタジオジブリの教科書的なアニメ映画とは違って、ダメ人間のロックバンドの筋肉少女帯に出てくる包帯で真っ白な少女を引用したヒロインが出てきたり、社会規範から外れたちょっと不良っぽいところだったんだが。

なんだよ。あの村。宮崎駿っていうかむしろ高畑勲みたいな農本主義。保守。新世紀じゃなくて昭和の方に目線が向いてる。

人造人間のアヤナミレイ(仮称)が村での生活で猫や赤ちゃんや新妻やババアや子どもたちと触れ合って人間性を獲得するっていうのもすっごく陳腐。アヤナミレイ(仮称)とババァたちが風呂に入る描写の繰り返しも似たようなレイアウトの繰り返しでつまらなかったな。

洞木ヒカリの岩男潤子さんの主婦っぽい演技はよかったけど、行動パターンが完全にジブリ。
別れの置き手紙もすごくわかりやすい泣かせポイントだったね。

で、人造人間だからアヤナミレイ(仮称)(黒波)は碇シンジと交流をしても、補給を受けられなくて死んでしまうのだが。
 その死を目撃した碇シンジはそれをきっかけに成長する。
 こっちを無理やり泣かせようとする感じが嫌だったね。
 長ったらしい(エヴァらしくない)一般社会の人々との交流パートが、黒波が死んだと同時に終わってアクションパートに移行するのも、嘘くさい話だったなあ。
 結局黒波は綾波じゃないから死んでもいいキャラクターで、シンジの成長を促すきっかけの一つに過ぎないという程度の描写で作り物臭かったなあ。


碇ゲンドウが自分の半生を振り返って秩序だって何が辛くて何が嬉しかったのか心情を息子に吐露して説明するっていうのは嘘くさいと思った。碇ゲンドウってそんなに親切な説明をする男じゃなかったじゃん。老いた親は思考力も低下しているけど、子供に対してはマウントを取りたがるので、あんなに素直に整然と本心を語るなんてことはないです。

 というか、むしろ35歳で新世紀エヴァンゲリオンを作った庵野秀明監督が還暦を迎えて「若い人に話を聞いて欲しい」という甘えた老人になったようにしか見えなくて幻滅した。

本当に普通の映画だったね。予告編で流されているデートムービーとか高校生が戦国時代にタイムスリップとかモンスターハンターが映画になるとか、そういうのと同じくらいの普通さ。

アクションがつまらない

画面は結構お金かけてそうだったけど、戦術的な殺陣としてはそんなに大したことをやってない。むしろゴチャゴチャしてて画面が汚い。


単なるCGのテクスチャって感じ。Airの弐号機と量産型エヴァンゲリオンの殺陣のような重厚な殺意がなかった。ゲームっぽい。

イマジナリー空間でのエヴァンゲリオン初号機と13号機の戦いもフリクリのギャグパートにしか見えなくてつまんなかった。っていうか、フリクリのほうがもっとたくさん動かしてた。

 あんなに戦闘アクションでインパクトを残したエヴァンゲリオンの完結編のアクションがこれって言うの、本当に死んだんだなって感じ。

 なんか、旧劇場版はオタクを全員殴ってやる!みたいな殺意が映像から溢れていたけど、カラーの社長になった庵野監督としては「仕事として成立させて会社での役割をちゃんとする」という経営者目線で、クリエイター根性が薄れていた気がする。

唐突に流れ弾や凡ミスやカスパーの裏切りでうっかり死ぬ、というのが新世紀エヴァンゲリオンの儚くも美しい魅力だったのだが、役割を全うしてちょうどよいタイミングで死んでいく、わかりやすいガンダムユニコーンのキャラクターみたいなフィクションっぽさの高い死に様。
 本当に普通の都合がいい映画だったね。


説明台詞が多すぎる。造語も多いが、ほとんど聞き流しても問題ないくらい無意味な単語の羅列だ。それよりも説明台詞が多すぎる。
果たして2時間半も費やすほどの意味合いはあったのだろうか?説明セリフで視聴者が考えないアクションが連続するので、むしろ退屈。


そんなに結婚して落ち着くことがいいのか?安野モヨコ程度の女にそそのかされて!!(このセリフはブレンパワードのパロディなので、安野モヨコさんのことは逆に認めているという意味です)

終盤に「さらば、全てのエヴァンゲリオン」とエヴァンゲリオンに別れを告げるシーンが有るのだが。
感動的にエヴァとの四半世紀に渡る関係の別れを告げるシーンなのに、全然感動しませんでした!
 単なる段取りって感じ。

TV版の頃からバンクの使い方が上手かったエヴァンゲリオンだが、今回のゲンドウの13号機とエヴァ初号機の戦いもバンクが多くて、最終決戦としては物足りないものがあった。
 希望の初号機と絶望の13号機っていうのも設定トークという感じでドラマになってない。

質感がバラバラ。

 CGのリリス頭と手描きのリリスボディとか、イマジナリー世界での戦いとか、意図的に「これは虚構だ」「これはただの絵だ」と見せたい意図はわかったが。
 それにしても美意識がなさすぎないか?旧劇場版はCG技術は昔だったけど、映画としての美意識はあったぞ。

 あんな10年前のニコニコ動画みたいなクオリティのCGのリリスの大群とか、ギャグじゃん。ギャグに見せたかったの?


製作期間が長すぎて、関連制作会社も多すぎて、シーンごとの背景素材の雰囲気が揃ってない。
 同じカットでもCG素材と動画素材と背景素材の情報量が揃ってない場面が多かった。
 ディレクションレベルで統一ができていなかったんじゃないの?
 TVシリーズならいいのよ。1話ごとに作画監督や雰囲気が変わっても。でも映画ですよ?

ラストの実写っぽいところも、昭和っぽい鉄道趣味が見えたし、現実の現状追認という感じで、あまり未来に向かう感じはしなかった。若者が悩みながら未来を模索するって言うより、「これでいい」という老人みたいな仕草。

はぁ、出がらしには興味が失せたわ。 今ここでさっさとし・・・・(とか言うと検閲されるので)・・・し、シ、シン・ウルトラマンのお仕事頑張ってください!

 でも、これだけは言わせてもらう。アニメを作ることを舐めてはいけない。

 
このレビューに対し反応は様々↓

管理人コメント:やっぱりこのオチに納得できないファンもいたか…